
煮込みハンバーグ・焼きポテト・人参グラッセ・ブロッコリー・生ハムのサラダ・きのこのポタージュ・カヌレ・越後姫
皿はマットな無地が好き。
手触りはサラサラかザラザラで、光の下に置いてもテカらず、白っぽい無地が好き。
実際、うちに売るほどある皿の9割はこのタイプで、
絵皿やツヤテカ皿はほとんど持っていないのだけれど、
そんな我が家で紅一点の活躍をみせるのがパラティッシ。

いろんなカラー&サイズがあるけど、
私はブラックのオーバルが一番好き。
パスタをのせればちょうどよく収まり、メインディッシュにもちょうどいいサイズ感。
これにのせるだけで料理が美味しそうになり、食卓は一気に華やかになる。
そんなパラティッシをメインディッシュにした昨日。

さぶろー山は食卓をみるなり「わ、美味しそう!」と喜び、
「え、今日って何かの記念日だっけ?何かあったっけ?」と首を傾げた。
まぁ、確かにパラティッシにのせるといつもの料理に魔法がかかり、
ちょっと美味しそうなものはめっちゃ美味しそうに見える。
俗に言う「パラティッシの魔法」である。

さらに、煮込みハンバーグなどという、イチイチ玉ねぎを刻んで炒めてハンバーグを作って、
さらに玉ねぎにきのこにマッシュルームを炒めてソースを作って、
さらにハンバーグを戻し入れてコトコト煮込む時間もコストもかかるリッチなハンバーグは、
我が家ではめったにお目見えしない。
首を傾げる彼の気持ちも分からないでもない。
だがしかし。
そんな理由はひとつしかないじゃないか。
私「愛してるから!」

さぶろー山「ティファニーを?」
あまりにも即答すぎてちょっと笑えたけど、いやいやいやいや、そうじゃない。
ここで私がうんって言ったら、すんごい欲しがり屋みたいじゃないか。
いや、欲しいけど、マジで欲しいけど、そうじゃない。そうじゃない。
私は、ティファニーが欲しいんじゃなく、
「買ってあげたいな~」って思ってくれたことが嬉しい。

毎日毎日顔を合わせて20年。
時には掃除機が舞い、時にはラップが飛んでリモコンが大破する日々の中で、
妻に何かしてあげたいと思ってくれたことが嬉しい。
何かしてあげたいと思った時、真っ先に私を思い出してくれたことが嬉しい。
私にせがまれて提案したのではなく、自ら提案してくれたことが嬉しい。

なので、裏を返せば別に「ティファニー」である必要性はなく、
ティファニーじゃなくても、
ダイヤがなくても、
何でもいい。
私は「私のために何かしてあげよう」と思ってくれたことが一番嬉しいのだから。

さぶろー山「お前今、『ティファニーが嬉しいんじゃない。私はなんでも嬉しい。その気持ちが嬉しい!』って思ってだろ。」
私「あらやだ、顔に出てたかしら。」
さぶろー山「すんげー顔にでてたし、めちゃくちゃデカデカと顔に書いてあったけど、
だがしかし、俺は知っている。」

さぶろー山「お前の何でもいいは何でもよくねえ」
さぶろー山「今まで何でもいいって言われて何でもよかった試しがねえ。
めっちゃキレられた過去しかねえ!」
あの時も、この時も、その時も、どの時も・・・と、
さぶろー山は数々の「何でもよくなかった思い出」を語ってくれたけど、
言われてみれば確かにその通りで、
さすがさぶろー山、よく覚えていらっしゃる。

確かに「気持ち」は嬉しい。
贈り物は「気持ち」が嬉しい。
そこに嘘偽りはないのだけれど、
その相手が「夫」で、そこに「物」が付随する場合、
「何でもいい」はある程度の範囲に絞られる。
そしてその「ある程度の範囲」は自分の願いが込められている。
ホントその通りだな~。と感心すると共に、
リクエスト「鍋」に対してのピザカッターをもらったこととか、
自分が使いたいがためのワインオープナーをプレゼントされたこととか、
その場で調理してもらえるサービス付き魚(生焼け)をプレゼントしてもらったこととか、
魚の次がホタテだったこととか、
なぜか半額になった蒸し牡蠣をもらったこととか、
ろうそくのささった炒り卵を泣きながらいただいたこととか、
数々の記憶が蘇り、
どう考えてもいらないようなものを平気でプレゼントに選ぶさぶろー山もさぶろー山だと思うんです。

懐かしの魚43。
ご清聴ありがとうございます。
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ありがとうございます。ぺこりぺこり。
どう考えてもティファニーがいい。
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