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美味しいには理由がある! うちごはんのゆる基本 

価格/1,300+税 →こんな本です①。こんな本です②。







ーーー出会いは平成元年。
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10歳の時、新潟に引っ越した。

引っ越しの理由は、これまたベタな「親の仕事の転勤」だった。



引っ越しの話がでた時、

じじばばっ子だったあたしを心配したおかんに、

「本当に大丈夫?じーちゃんやばーちゃんと離れるのが嫌なら引っ越ししないよ?」

と言われたことを今でも覚えてる。

そして、

「大丈夫!ついてく!」

と言ったのを今でも覚えてる。



当時10歳。

引っ越すことの意味も分からず、

「夢の転校生!主役!」と浮足立っていたあたしは、

本当に子供だったのだと思う。



最初の1ケ月はいい。

物珍しい転校生は動物園のパンダになれる。

誰もが声をかけ、誰もが集まり、毎日が大忙しで、寂しさを感じる暇もない。

しかし、いくらパンダとは言え、毎日いれば物珍しさも消える。

誰もが存在に慣れ、いることが当たり前になってくる。

ぼっちパンダの試練が始まる2ケ月目。



決して友達ができなかったワケではない。

いじめにあっていたワケでもない。

ただ、言葉の違いや遊びの違い、勉強の違いや暮らしの違い、

些細なことに不安を感じる時期だった。



なんだかなー・・・と思っていた矢先のこと。



引っ越した先の小学校は、下校時になると「季節の歌」を全校放送で流していたのだけれど、

我が家はちょうど秋口に引っ越しをしたので、流れる歌は「秋の歌」。

どんぐりころころでも流してくれればいいものを、

夕焼け小焼けだとか、赤とんぼだとか、まっかな秋だとか、ちいさい秋みつけただとか、もみじだとか、

郷愁を誘うような曲をフルパレードに流してくれ、

あたしの寂しさと不安が一挙に溢れだした。



歌のイメージと会津が重なり、

曲が流れるたび、会津が恋しかった。

友達が恋しかったというより、イチローが恋しかった。



この世に生を受けたその時から、あたしはじじっ子であり、

そしてまた、イチローもあたしを可愛がった。

猫かわいがりという言葉以上にあたしを可愛がった。

大好きな大好きなじーちゃんだった。

父であり母であり、あたしのすべてだった。

申し訳ないけど、「お母さん」ではダメだった。



今でこそアレだけど、

産まれた時からイチローと寝食を共にしてきたあたしにとって、

お母さんとは、「お母さん」という名の他人だった。

同じ屋根の下に住んでいても、家族と思える存在ではなく、心を許せる存在ではなかった。

きっとおかんも気を使っていただろうし、あたしも気を使っていた。



朝起きてイチローのいない暮らしが寂しかった。

赤とんぼを聞いても、レタスを見ても、どんな時でもイチローを思い出した。

からすでもなんでもいいからあたしを連れて帰ってくれ。と願った。

何をしてもイチローが恋しく、遠く離れたイチローを思って泣いた。



とは言え、10歳という微妙な多感期&慣れぬ土地で、

こんなことを打ち明けられる人もおらず、

なんとなーく毎日を過ごしていたら、

だんだん学校に行きたくなくなって、

行きたくないなーと思ったら、

今度は腹が痛くなってきて、

遅刻したり早退したりしながら、

週末は会津に帰って、

イチローの顔を見て、

また週明けから学校に行って、

腹が痛くなって・・・と、

騙し騙しな生活を送ってきたんだけど、

ついには学校に行きたくないとか言い始めた10歳のあたし。



おかんも相当焦ったんだろうなぁ。

気分転換に・・・って、ピアノを買ってくれたんだ。



あの頃、お金なんてなかっただろうに、

すっごいせっまい借家にピアノが運ばれてきて、

近所にピアノ教室も見つけてくれた。



会津にいた頃はやめたくてやめたくてしょうがなかったピアノなのに、

当時のあたしにはなくてはならないアイテムだったのか、

寂しい時にはピアノを弾き、泣きたい時にもピアノを弾き、

毎日弾いて弾いて弾いて、

そして、元気になったのをよく覚えてる。



ピアノが好きかって言われると、今でもよく分からないけど、

きっと気分転換にはなったんだと思う。



だんだん新潟の空気にも慣れ、

イチローのいない暮らしにも慣れ、

あれよあれよと小学校を卒業して、

卒業式では君が代を弾いた。



中学校入学と同時にピアノ教室はやめちゃったけど、

ピアノそのものはやめられなくて、

毎日30分のピアノもやめられなくて、

受験の時ですら弾き続けて、

卒業までの3年間、校歌を弾いた。



勤労と遊びに励んだ高校時代は、

何がよかったんだかよく分からない男に現を抜かし、

ピアノに触ることはあんまりなかったけど、

それを取り戻すかのように、社会人になってから再びピアノ教室に通い始めて、

またピアノを弾き始めて、

最後の発表会に選んだ曲はトロイメライだった。



ひなが生まれて、

子守唄代わりにピアノを弾いて泣かれ、

その時点で絶対好きじゃないことを察していたけど、

おかんと義母の強い勧めでひなにもピアノを習わせたところ、

やっぱり性に合わなかったのか、

あたしよりピアノを弾く機会が少なくて。

あたしにせっつかれながら、

2人で連弾したり、教えてみたり、笑えるくらい上達しなかったけど、

それでもかろうじてレッスンには通ってたから、

8年前、家を新築する際は、

ピアノのサイズを計って、ピアノのサイズピッタリに場所を作ってもらって、

ピアノをおけるように補強工事してもらって。
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居場所ができたピアノは心なしか誇らしそうだったけど、

この工事は予想以上に高く、

ピアノには向き、不向きがある模様。



かろうじて。のレベルで親子二代がお世話になったピアノ。

このまま親子三代、ゆくゆくは四代・・・

40年50年と受け継がれることを夢みたこともあったけれど、

ひなが中学校になって、全然弾かなくなって。

あたし自身もピアノから随分遠ざかった。



年に一度開かれるかどうかの鍵盤蓋。

ずっと踏まれたままのマフラーペダル。



それでも、

ひなが将来ピアノを使う職業につくかもしれない。

と、置き続けたピアノ。

このたびの進路相談でその夢が断たれ、

離れる決心がついた。



ここに飾られているくらいなら、新しい活躍の場があげたい。

あたしがピアノだったら、そうしてほしい。

新しい人生を歩ませてほしい。

そう思うことにしたあたしは、ピアノ買取一括査定を申し込んだ。



査定のおじさまに「状態がいいですね!」と言われ、

「大切にしてたんで。」と、答えた。



前の家は異様なほど湿気が多く、そして今の家は異様なほど乾燥していて、

決してピアノにとっていい環境ではないのだけれど、

長年に渡る湿気と乾燥が程よく中和されたのかもしれない。

おじさまはもうちょっと人とピアノはよく見たほうがいいかもしれないけど、結果オーライである。



唯一マイナス査定となった右足の傷は、

前の家に住んでた頃、ビニールカバーの楽譜を置きっぱなしにしたら、

夏の熱さにやられたのか、楽譜がくっついて、それがそのまま残っちゃって。

綺麗な足だったのにごめんなぁ。

でも、予想以上に引かれてて、思わず「そこをなんとか!」って頼み込んだよね。
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苦い顔をしてたけど、そこはなんとかしてもらい、

おかげさまでまずまずの値がつけられたあたしのピアノ。



査定のおじさまには、

「じっくり考えていただいて、来週引き取りに来てもいいですし、来月でも再来月でも大丈夫です。」

と言われたけれど、

「今日引き取ってください。」

とお願いした。

きっと、ここで迷ったら一生手放せなくなるから。



査定のおじさまはどこぞからトラックを持ってきて、

ピアノからトラックまでの間には、

毛布や板で花道が作られた。
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重い重いピアノが台車に載せられ、

花道をゆっくり下る光景は、まるでドナドナのようだった。



なぜか脳内でまっかな秋がリピートされ、

トラックに積まれたピアノを見て少し、寂しくなった。
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査定から引き取りまでわずか30分。



ピアノとのお別れは予想以上にあっけないもので、

真っ白な壁が少し寂しく感じた。



仕事から帰ったさぶろー山にその一部始終を話したら、

「寂しかったら買い戻してもいいんだよ。お前は物と人に情を持つからなぁ。」

と言われ、なんか、泣けた。





手放したあたしがこんなことを言うのもナンだけど、

綺麗になって、いい人に拾われたらいいなぁ。と、思う。

大切にしてくれる人に出会えればいいなぁ。と、思う。






長きに渡ってあたしを支えてくれた友が、

幸せなピアノ生を送れますように。
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親子二代、30年間ありがとう!








ご清聴ありがとうございます。

ホロリ。ときたらこちらをぽちぽちぽちっと。

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ありがとうございます。ぺこりぺこり。






どうか、良い人に買われますように。








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