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美味しいには理由がある! うちごはんのゆる基本 

価格/1,300+税 →こんな本です①。こんな本です②。





年末年始に読むような明るい話題じゃなくて申し訳ないんですが、

その①の続きです。

しかも、まさかの年またぎ記事でホントすみません・・・(猛省)







結婚するまで葬式ひとつ経験したことがなく、

病気だの癌だのはテレビの中の、自分とはかけ離れた話だとばかり思ってた。

あたしは、何かの間違いではないのかと、何度もねねこに聞き返したけれど、

返ってきた言葉は、「間違いなく癌である」ということ。

「あまり良くない状態である」ということ。

「余命1ケ月である」ということ。



すぐさまあたしは会津に向かった。



家に入ると、じーちゃんはめずらしく昼間から布団に入っていた。

具合が悪くて起きれない。

ご飯が美味しくなくてビールも飲めない。

と、愚痴をこぼしていたけれど、

とても癌には見えなかったし、余命1ケ月にも見えなかった。



きっと何かの間違いだろうと思い、その日はいったん新潟に帰ったけれど、

週末に来た時は、それはもうひどいもんだった。



大日本帝国軍人の鏡みたいなじーちゃんが、

「痛い痛い」と叫び、「救急車を呼んでくれ」と悲鳴をあげる。



さすがのあたし達も不安になり、

入院はできないのか、このまま家に置いても大丈夫なものなのか、と病院に行けば、

ベッドに空きがないと断られる。

みんなで寝ずの番をして、じーちゃんをさすりながら夜を越える。

痛みに耐えきれず、「殺してくれ」と叫ぶじーちゃんを見て、

再び病院に足を運ぶも、返される言葉は同じ。

「ベッドに空きがない」



数えるほどの入院施設しかなく、往診など夢のまた夢の田舎の地。

ホスピスなど影も形もないど田舎で、「殺してくれ」と叫ぶほど痛がるの患者を目の前に、

「痛くなったら外来に来ればいい」と言う先生。

痛みの間隔なんて2分3分おきで、水分すらまともにとれないのに、

「外来に来てくれたら痛み止めを打ちます」。

「水分補給はご家族で工夫してください」。

「空きがでるまで入院は無理です」「無理なものは無理」「絶対無理」と言い続ける先生。

情けはないのか、お慈悲はないのか、あたし達もずいぶんたてついたけれど、

「病院は慈善事業ではない」と言うから、この病院はそうなのだろう。



こんな先生しかいないことを恨んだし、

こんな病院に入院させるのも嫌だったけれど、

他に手立てのないあたし達は、毎日病院に通い、毎日先生と戦った。

もちろん、結果は惨敗だったけど、

数日後、ほんの少しの運と看護師さんの優しさにより、

あたし達は勝利を勝ち取る。



入院する日は、あたしも立ち会った。

じーちゃんの具合はどんどん悪くなり、たった数日で随分痩せたようだったけど、

これで安心だと思った。

きっと治ると信じた。

じーちゃんは「ひながランドセルを背負う姿を見るまで死ねない」と言った。



病院は完全看護だったけど、ばーちゃんはじーちゃんの傍にいたがったし、

あたし自身も離れなくなかった。

あたしはその日からばーちゃんと一緒に暮らし、交代でじーちゃんの看病をした。

何度か荷物を取りに戻りつつ、しばらく会津で暮らすことをさぶろー山に告げた。

さぶろー山は嫌な顔ひとつせず、快く送り出してくれ、

この時ほど彼と結婚してよかったと思ったことはない。



ばーちゃんと看病の日々はそれなりに大変だったし、

入院中も先生は意地悪で、びっくりするほど何もしてくれなかったけど、

看護師さんはすごく優しくて、先生に変わってあたし達を励ましてくれたし、

最後の最後まで本当に良くしてもらったと思ってる。



そして迎えた入院から5日目の朝。



その日は太陽と雪の入り混じる日曜日で、

遠方に住む従兄弟や、おかんの実母であるFUKUKO、当時東京に住んでいたはるか、

みんながお見舞いに来てくれた日だった。

じーちゃんは相変わらず具合が悪そうだったけど、

たくさんの見舞客に感謝し、

いろんなことを話していたようだった。



遠くからそれを見ていたあたしは、ふと、自分の足が痛いことに気づいた。

きっと、靴にまで気が回らなかったのだろう。

雪国でパンプスを履き続けたあたしの足は、霜焼けにむくみのオンパレードだった。

さすがにこれはないか。と、近所のスーパーまでサンダルを買いに向かった時だった。



ほんの10分。

たった10分。

サンダルを買いに行っただけだった。





「おねーちゃん、早く戻ってきて!おじーちゃんが!おじーちゃんが・・・!」





はるかからの電話を受けたあたしは、大急ぎで病院に戻った。

どこをどう走ったかも覚えていない。

車など病院の前に乗り捨てたかもしれない。

走ってはいけない廊下は全力疾走だったと思う。



でも、

病室に戻ると、先生はじーちゃんの上に乗り、心臓マッサージをしていた。



その後のことはあまり覚えていないのだけれど、

多分AEDも使ったと思うし、先生も何人かいた気がする。

「病院は慈善事業ではない」と言い放つような病院だけど、

この時ばかりは頑張ってくれたような気がする。

ただあたしが間に合わなかっただけで。



病院からの説明は、「痛がっていたので、いつもと違う薬を打ったらこうなった」とのことだった。

その薬が何だったかは分からない。

先生が何をしたかも分からない。

慈善事業ではないから仕方ないかもしれない。

それがじーちゃんの寿命だったかもしれない。



あたし達に残ったものは、じーちゃんが戻ってこないという現実だけ。



「ひながランドセルを背負う姿を見るまでは死ねない」と言っていたじーちゃんは、

あっけなく逝った。





棺にはあたしが子供の頃から大事にしていたキツネのぬいぐるみを入れた。

通夜の日は一人で寝ずの番をした。

葬式の日は泣きながらじーちゃんを送った。

出棺の時、降り注ぐ雨を見て、ねねこが「涙雨だなぁ。じーちゃん、行きたくないんだなぁ。」と言い、

また泣いた。



こんなに涙がでるのかと思うほど泣いた2日間だった。

こんなに涙がでたのは後にも先にもこの時だけだった。

じーちゃんはあたしの一生分の涙を持っていったのかもしれない。

大好きだったじーちゃん、79歳だった。








今年中に書ききろうと思ったのに、全然終わらない雰囲気なんで、

残りは年明けにします。まさかの年またぎ記事、本当にすみません・・・!





ご清聴ありがとうございます。

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